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更新日 2017-06-20 | 作成日 2007-11-25

Real Life 1 「竹馬の友との出逢い」

2005/11/06

ドラムとの出逢い ~ 最初に手に入れたドラムはヤマハ製、兄貴が買ってくれた

(Mr.X)
今日は初めてのインタビューということなのでバイオから聞かせて頂けますか?

(Yuji Tanaka)
はい。1957年5月29日、北海道は旭川の生まれ、4人兄弟の3番目として育ちました。

(Mr.X)
音楽との接点、ドラムを始めた動機について聞かせて頂けますか?

(Yuji Tanaka)
記憶をたどってだから、だいぶ前の事については話が前後したりするかもしれないけど・・・。 う~ん、音楽との接点ね。中学の時に同級生に上田ってヤツがいてね。そいつが音楽に詳しくて、ビートルズなんかを聴いていたわけ。「レット・イット・ビー」とか、「明日への願い」とか、当時ビートルズは既に解散していたんだけど、その辺のシングルを「買え」って押しつけてきて、何枚か買ったんだよね。はまってしまって初めて買ったアルバムが中古の「レット・イット・ビー」だと思う。そうこうしているうちに、地元のアマチュア・バンドのライブに誘われてね。行ったら妙に感動しちゃって、「俺はギターをやる」とか、そんな他愛もない会話が友達とあったんだけど、そんな中、僕はドラムがやりたいって思ったんだ。

(Mr.X)
初めからドラマーを志したんですね。当時はどんな風な練習したんですか?というのも、中学生ぐらいだとドラムを買うお金もないでしょうし、そもそもドラムを家で叩くのは難しいと思いますが・・・

(Yuji Tanaka)
家にあったお盆とか、座布団とかをひっぱたいていた ^^ 友達と自宅とかに集まってね、生ギターにマイクをつっこんだり、まあ中学生が思いつくようなことをしていた。ただ結局ドラムは手に入れたんだ。ヤマハのトラ柄のドラムをね。フルセットで4万5千円だったかな、兄貴がお金を出してくれてね。嬉しかったな。

(Mr.X)
良いお兄さんですね ^^ 当時はどのあたりのバンドのコピーを。影響を受けたドラマーとかを聞かせてもらえますか?

(Yuji Tanaka)
う~ん、ストーンズかな。何をコピーしたっけな、「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」だ!あ、矢萩が聞いていたヤツもコピーしたな。

注 ストーンズ ローリング・ストーンズのこと。ミック・ジャガーとキース・リチャーズはロックの代名詞といっても過言じゃない。「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」はキリン・ビールのCM曲として使用されていたので、聴けば分かる人も多いと思います。

矢萩渉との出逢い ~ 小・中が一緒でね

(Mr.X)
「矢萩」というのは安全地帯のギタリストの矢萩さん?

(Yuji Tanaka)
そう。

(Mr.X)
そもそも矢萩さんとはどんなご縁で?聞くところによると、中学時代の同級生だとか?

(Yuji Tanaka)
うん、小・中が一緒でね。あのね、う~ん、バンド活動自体は中学2・3年から、つまり上田と一緒にやっていたんだけど・・・ そうだ僕、高一の時に交通事故にあっちゃってね。海に行った帰りに交通事故にあって、半年間くらい入院していたんだ。当然、バンド活動は出来なくなり・・・ バンドのメンバーは違うドラマーを探し始めたんだ。だからその後かな、矢萩とツルみ始めたのは。

(Mr.X)
矢萩さんは当時からギターを?エレキ?

(Yuji Tanaka)
そうギター、エレキだね。彼の兄貴もギターを弾いていたから。当時はツェッペリンとかをコピーしていたな。ジミー・ペイジだね。あと、ジェフベックやエリック・クラプトンとか3大ギタリストだよね。

注 ツェッペリン レッド・ツェッペリンのこと。イギリスを代表する伝説的なロック・バンド。華麗なルックス、ドラマチックな曲の展開等々、異彩を放った。

注 3大ギタリスト 当時、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、エリック・クラプトンは総称して「3大ギタリスト」と呼ばれ、誰もがこぞってコピーをした。ただ、今3大ギタリストと問われれば、ジミ・ヘン、エディー・ヴァンヘイレン、イングウェイ・マルムスティーンの3名を挙げる人が多いかも。前者がロックへの扉を開いたのなら、後者はロックに革命を起こした。

(Mr.X)
矢萩さんのギターはロック色が強いですもんね。

(Yuji Tanaka)
そうだね。あとは、南部の音楽、アメリカのオールマン・・・

(Mr.X)
サザン・ロック?

注 サザンロック 土臭い薫りのするロック・ジャンルの一つで、「豪快さ」が売り。代表的なアーティストに「オールマン・ブラザース・バンド」「ザ・バンド」等がある。

(Yuji Tanaka)
そう、その通り、サザン・ロック。当時はサザン・ロックが隆盛でね。はまっていた。それ以外だとクリームとか、ベック・ボガード&アピスとか、そうそうカーマイン・アピスは大好きだったな・・・。もう少し後になってからドゥービーだね。ドゥービーには完全にはまったな。

注 クリームエリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベーカーによるトリオのロックバンド。3人の個性溢れる凄腕のミュージシャンが勝手気ままに演奏したら微妙なところで調和するというカジュアルな音楽が売り。「WHEELS OF FIRE(クリームの素晴らしき世界)」あたりがお奨め。

注 ドゥービー ドゥービーブラザーズのこと。カリフォルニア、サン・ノゼ周辺のクラブで演奏活動を行っていたトム・ジョンストンを中心に結成されたバンド。代表作に「CAPTAIN AND ME」等がある。ちなみに、田中さんは1996年に武道館で競演を果たす。題目は「コスモ石油10周年記念SPECIAL, "We Love Music, We Love the Earth '96"」

注 カーマイン・アピス ドラマーはバンドを渡り歩くことが多いが、この人もその中の1人。キャリアが長いのでハイライトはたくさんあるが、最近のお奨めはブルーマーダー在籍時のアルバム「Blue Murder」。ジョン・サイクス、トニー・フランクリンという凄腕のメンバー達と繰り出されるカジュアルなトリオ・サウンドは現代のクリームとさえ呼ばれた。

(Mr.X)
それで矢萩さんなんかとコピーをしたりして・・・

(Yuji Tanaka)
足を折って、足の中に鉄の棒を入れているときもバンド活動自体は一応続いていて・・・ 矢萩と六ちゃんとあとひとりメンバーがいてね・・・

六土開正との出逢い

(Mr.X)
あ、そのとき既に六土さんとは知り合っていたんですね。

(Yuji Tanaka)
そう知り合っていた。

(Mr.X)
きっかけはどんな感じだったんですか?

(Yuji Tanaka)
バンドのメンバーは楽器店を通じて知り合ったヤツが多いんだ。

(Mr.X)
旭川の楽器店やスタジオ事情はどうだったんですか?

(Yuji Tanaka)
2つあったよ、マチイ楽器とクニハラ楽器。

(Mr.X)
武沢さんのコラムにも出てきますね ^^

注 マチイ楽器とクニハラ楽器 この辺の事情は武沢豊氏の公式サイトにアップされているコラムにも出てくる。

(Yuji Tanaka)
当時はこの2つに出入りしていて・・・ 、あとはコンテストの類かな・・・ そういう環境の中で、まあなんとなく顔を覚え、そのうち話をするようになり・・・ そんな感じかな。

(Mr.X)
バンド関係はそうなんですよね。自分が上手くなると、それに合わせて付き合う連中のレベルも上がり、また色々な交流が生まれる。

(Yuji Tanaka)
そういうこと。そのとき既に矢萩と六ちゃん、あともうひとりいて色々とやっていたんだけど・・・ そのひとりが駄目になっちゃてね。

(Mr.X)
そのとき六土さんの担当は?ベース?キーボード?

(Yuji Tanaka)
ベース、ベース。六ちゃんは当時同年代の連中に比べたらかなり上手くて、もう少し年が上の連中と活動していたんだ。でも、そのバンドが駄目になってしまって、なんの因果か僕らと知り合って・・・ さっきも話をしたけど、僕は足を折って入院していたから、お見舞いに来てくれたりして・・・ 色々と話をしているうちに、じゃあ、退院したら一緒にバンド活動をやろうみたいな話になったんだ。

(Mr.X)
で、退院してバンド活動を始めた?

(Yuji Tanaka)
うん、コピーをたくさんしたね。あとオリジナルを少し。

玉置浩二、武沢豊、「安全地帯」との出逢い

(Mr.X)
そろそろ玉置さん、つまり安全地帯のメンバーとの出会いがありますよね?

(Yuji Tanaka)
うん、そう。彼らは既に「安全地帯」として活動していた。

(Mr.X)
聞くところによると、玉置さんや武沢さんのお兄さんも参加されていたとか。

(Yuji Tanaka)
うん、浩二の兄貴、豊の兄貴・・・ あと宮下さん。まあ、その前身のときもあるだろうけど、僕は知らない。で、彼らとコンテストなんかで競い合っていて・・・

注 宮下さん 宮下隆宏さんのことで、現「ハーベスト」のオーナー。旧練習場は、現在、本格的なフランス料理のレストランに変わり、美食を提供。ファン・クラブの催し物を行ったこともある。

(Mr.X)
・・・ 武沢さんのコラムによると、マチイ楽器派とクニハラ楽器派は競争意識が強くて武装化していたとか?

(Yuji Tanaka)
(爆笑)、そんなことはなかったと思うけど・・・・ で、コンテストとかに出場していて・・・ あ、そうそうコンテストとかに出る一方自主コンサートをやっていてね。

(Mr.X)
ライブハウス?

(Yuji Tanaka)
うん、最初はライブハウスでもやったんだけど「空想旅行館」とかね・・・でも、市民会館と公会堂とか・・・ そこで安全地帯、六土開正バンドなんかが演奏していたんだ。定期的に交代で自主コンサートをね。自分たちでビラを配ったりチケットを売りながらね。

で、そんな折り、浩二の兄貴がバンドを抜けることになって、ドラムに欠員が出来たんだ。で、レンタルという形で僕が参加することになってね。

「安全地帯」への初参加

(Mr.X)
ドラマーって人材不足で、かけもちを強いられる人って多いですよね。

(Yuji Tanaka)
彼らとプレイしたのはこれが最初かな。で、一度参加して、その後戻って・・・ 彼らは彼らで違うドラムを入れ、最終的には大平ってヤツが入って・・・ で、5人と3人のバンドがひっついた。こんな感じかな。

(Mr.X)
くっついたときはオリジナル?それともコピー?

(Yuji Tanaka)
オリジナル、オリジナル。彼らはほとんどオリジナルをプレーしていた。僕らは8割方コピーだったけど。

(Mr.X)
当時のデモ・テープを聴いたことがあるんですが、ウェスト・ロック調の曲が多いですよね?世間的には、安全地帯というと「ワインレッドの心」、つまりいかにも歌謡曲ですけど、アマチュア時代の音楽性はロック色が濃いですよね。

(Yuji Tanaka)
そうだね。

(Mr.X)
ちなみに合体した時期は、人生の尺度でいうとどのあたり?高校時代?

(Yuji Tanaka)
う~ん、高校時代、それとも卒業したあたりかな。

(Mr.X)
世間的には進路の問題もそろそろ・・・

(Yuji Tanaka)
そうだね。メンバーの何人かは学校を辞めて音楽一本に絞ったり・・・ 僕は、実家が車関係の仕事をしていてね。それを手伝っていたんだ。

ハーベストでの合宿生活

(Mr.X)
で、そろそろハーベストの話が・・・

(Yuji Tanaka)
うん、地域の実力者に理解者がいてね。銀行を通してだと思うけど、かなりのお金を融資してくれてね。

(Mr.X)
一説によると500万円とか?

(Yuji Tanaka)
具体的な金額は覚えていないけど、それくらいだったかな。そのお金で民家を借りてね。農家なんだけど、自分たちで改装、楽器を持ち込み、バイトをしながらお金を返していたんだと思う。

(Mr.X)
当時のバンド活動は軌道に乗っていたんですか?お客さんはたくさん来てくれました?

(Yuji Tanaka)
うん、この頃になるとそこそこ名は知れていて、お客さんもたくさん来てくれた。完全なプロ指向で活動していたよ。

(Mr.X)
コンテストで優勝したり・・・

(Yuji Tanaka)
そうね、ステージフライトだったかな。

「安全地帯」からの脱退 ~ 様々な軋轢

(Mr.X)
バンド内の雰囲気は、そろそろ東京に行って一旗揚げてやるかみたいな ^^ 一緒に生活していたんですよね?

(Yuji Tanaka)
う~ん、この辺は微妙だな。一緒に生活をしたり、しなかったりね・・・ 一緒に生活し始めて少し経つと色々な問題が生じたりしてね・・・ ああだこうだしているうちに、僕と宮下さんは抜ける事にしたんだ。

(Mr.X)
??? ま、バンド活動していると色々とありますからね。いつまでも遊んでいられないし、然るべき結果を出さないとまとまらない。そのころ、レコード会社からのアプローチはあったんですか?キティーは?

(Yuji Tanaka)
いや、全然。そのころはレコード会社とか、そういうレベルのアプローチは何もなかった。コンテストに出たり、デモテープを作ったり・・・ 旭川では目立った存在だったけど、まだ契約というレベルの話ではなかったと思う。

(Mr.X)
それでは次に、田中さんが安全地帯との接点を持ったのはいつなんですか?

(Yuji Tanaka)
3年くらい後かな。ライブに行ったんだ。

(Mr.X)
そのときは、既に契約を結んでいたんですか?

(Yuji Tanaka)
うん。キティーとの契約を結び、陽水さんのバックバンドをやって・・・ 旭川のライブハウスでコンサートをやってね。それを見に行った。で、その後、色々と話をしてね。まあ、バンドの話じゃなくて、世間話の類だったと思うけど・・・ 

(Mr.X)
萠黄色は?

注 萠黄色 デビュー・シングル「萠黄色のスナップ」 (1982年2月発売)のこと。

注 陽水さんのバックバンド 安全地帯は、デビュー前、井上陽水さんのバックバンドをしながらプロとしての下積みをしていた。一般的に、デビュー前のアーティストはアマチュア時代の持ち歌を練習しながら、ファースト・アルバムの作成に備えることが多い。安全地帯も、陽水さんのバックバンドをする傍ら持ち歌を練習、然るべき時期を窺っていた。

(Yuji Tanaka)
いや、まだシングルは出ていなかったと思う。これからシングルが出るよみたいなことを言われた記憶が・・・ あ、そうそう、僕は当時バンドをやっていたんだ ^^ 宮下さんや同級生達と・・・ 思い出した、思い出した。安全地帯を離れた後1年間くらいは音楽から離れていたんだけど、段々体がむずむずしてきてね。宮下さんとか、同級生とか・・・ ただ、これは単純に楽しみとしてね。

「安全地帯」へ再び参加 ~ 東京にいる玉置浩二からの電話

(Mr.X)
話としては、そろそろ田中さんが再び参加されると思うんですが・・・

(Yuji Tanaka)
そう、その後東京にいる浩二から電話が掛かってきたんだ。

(Mr.X)
「もう一度一緒にやらないか?」といわれ、OKした?

(Yuji Tanaka)
いや断った。

(Mr.X)
(一同大爆笑)どうして?

(Yuji Tanaka)
既に本格的に家業の手伝いもしていたしね・・・ バンドは組んでいたけど・・・、いきなり東京に来いといわれても・・・。なんて具合だったかな。自信もなかったし、あまりにも急な話だったからね、迷ったけど断った。

初めての東京

(Mr.X)
でも、最終的には OKしたんですよね?

(Yuji Tanaka)
そうだね、しばらくしたら浩二から「ドラマーがいないから大変だ。」みたいな感じで電話が掛かってきてね、「やるやらないは別にして、一度、東京に遊びに来ないか?」ってね。当時、陽水さんのツアーに出る予定があって、NHKだったかな・・・ リハーサルをしていたんで見に行った。で、その後、目黒だったかな・・・ 地下に下りていくスタジオで・・・・ 「ドラムを叩いていかないか?」みたいな話を星さんからもされて・・・ 安全地帯のメンバーと音出しをしたんだと思う。

(Mr.X)
あ、じゃ、玉置さんは何が何でも口説くつもりだったんですね ^^

(Yuji Tanaka)
そうかもね。

決断 ~ 後々後悔したくなかった

(Mr.X)
で、そのまま加入した?

(Yuji Tanaka)
いや北海道に帰った。で、その後、更に浩二から連絡が来て、最終的には上京した。やっぱり本格的にやってなかったぶん、自信がなかったんだよ。このときも1ヶ月くらい悩んだからね。当時組んでいたバンドのライブをこなし、その翌日かな、覚悟を決めて東京に向かったんだ。

結局当時の心境としたらね、色々な軋轢があって安全地帯を離れ、浩二達が東京でがんばっているのは分かっていた。僕は僕で車の仕事があったし、彼らが東京で成功したら拍手を送るつもりだった。でも、なんの御縁か、こういう話が何度も来て、凄く悩んで悩んで、悩み抜いた・・・ 上京を決めたら親父はショックで1ヶ月間、口も聞いてくれなかったしね。親父は家業を継ぐもんだと思っていたからね。

でもね、後悔したくなかったんだ。これが決め手だったな。凄く悩んだけど、今東京に行かなかったら、後で絶対後悔すると思ったんだ。良い結果がでるか、悪い結果が出るのか、それはやってみなければ分からない。やらなかったという判断を後々後悔したくなかったんだ。

ドラマの始まり ~ 最初の住まいは「洗足池」

(Mr.X)
東京での生活は?合宿生活をしたんですか?

(Yuji Tanaka)
いや、そのころはもうメンバー全員バラバラに住もうという状態で、僕の住むところも探しておいてくれたんだ。 

(Mr.X)
最初に住んだ場所は覚えていますか?

(Yuji Tanaka)
洗足池というところ。バラバラに住んでいたといっても、みんな近くに住んでいたんだけどね。

(Mr.X)
で、上京後の具体的な活動は?

(Yuji Tanaka)
ひたすら練習をしていた。

「俺の事務所はCAMP」 ~ プロ・デビュー

(Mr.X)
その練習は 陽水さんのために?

(Yuji Tanaka)
いや、ライブハウスでライブをやることが決まっていてね 。渋谷「エッグマン」だったかな、みんなで(=安全地帯として)リハーサルをしていたんだ。あ、思い出した。それで(安全地帯としての)アルバムを作る前に、陽水さんに呼ばれてね。「俺の事務所はCAMP」という曲なんだけど、レコーディングをするって。

注 「俺の事務所はCAMP」 かの「リバーサイドホテル」のB面(1982年7月発売)

(Mr.X)
陽水さんはどんな方ですか?過去のインタビューによれば、とても厳しくて、ミスすると竹刀でひっぱたくこともあるとか?

注 竹刀でひっぱたく 後に、安全地帯は陽水さんと神宮球場でジョイント・コンサートを果たすのだが、そのとき受けたインタビューの中で陽水さんが冗談交じりでそう応えている。

(Yuji Tanaka)
(爆笑)、いやいやそんなことはないよ。テレビなんかで見ている通り、ソフトな雰囲気だよ。とても良い人だよ。で、「俺の事務所はCAMP」をレコーディングしてね。大変だったな。凄く緊張しちゃって。スネアのチューニングをする時にチューニングキーを持つ手が震えていたのを覚えているよ。それでもなんとかやりきって。これが僕の(プロとしての)初レコーディングだと思う。

安全地帯Ⅰ「Remember to Remember」の発表

(Mr.X)
で、そろそろ「リメンバー・・・」の話が・・・

(Yuji Tanaka)
「リメンバー・・・」の前に、陽水さんのツアーに1年間くらい出ていたんだ。もう記憶が薄いけど、ツアーをやりながら、「リメンバー・・・」の曲をリハーサルしていたんじゃないかな。

注 「リメンバー・・・」 「Remember to Remember」 のこと。記念すべきファースト・アルバム(1983年1月発売)。

(Mr.X)
これが、その 「リメンバー・・・」の曲目なんですが・・・ フェイバリットは?

(Yuji Tanaka)
「I NEED YOU」ね、この曲は好きだったな。

(Mr.X)
前から聞いてみたかったんですけど、安全地帯のアレンジというのは誰が中心になって行っているんですか?星さん?

(Yuji Tanaka)
浩二だね、これは昔からそうかな。

(Mr.X)
安全地帯というとツイン・ギターというイメージが強いんですが・・・・

(Yuji Tanaka)
う~ん、そうだね。彼らも(矢萩さんと武沢さん)もちろん色々と考えてくるよね。あと星さん。星さんは凄腕のプロデューサーだよ。

そういえば、東京に来てリハーサルをしたとき、矢萩や豊が色々なエフェクターを使ってあれこれやってるのを見て、北海道にいたときはあんなことをしていなかったから驚いたな。「そんなことして、何が面白いの?」ってね ^^  でも、これは僕が知らなかっただけで、時代がそういうデジタルな流れになってきていたみたい。安全地帯が醸し出す雰囲気はそういうことが影響していたんだろうね・・・。

続く・・・